ヒーローからヒーラーへ(注:本文中のリンクは著者引退につき現在無効です)

思いやりと優しさ

1. 思いやりと無判定

無判定の態度を身につけるのは難しいことで、特に、自分たちが変えようとする人々や組織の行動に対して、道義的な怒りを感じている時はなおさらです。しかし、変革を成功させるには、私たちは自分たちの怒りを追いやって、自分たちの論敵の立場に立たなければなりません。私たちは、どんな人生経験がそのような論敵の信念、態度および言動を形成したかを想像し、自分たち自身に問わなければなりません。私たちは、その前提でも論敵とは違うようになっただろうか。

医師としての私の仕事において、医師仲間の中にはいる、強欲に取り憑かれたような人たちに対して、無判定でいることは難しいです。私は、提供している医療行為に対して大幅に上乗せ請求したり、治療の費用を出すための保険を持たない立場の弱い患者を喰い物にしたりする医師を知っています。ひとりの医師として、どうしたら、お年寄りの一生の蓄えを奪って年に何百ドルも稼いだりするのだろうか、と私は自問自答するのです。

私がせいぜいできることは、そのような良からぬ言動の背景には、個人的な安心の欠如があるのだろうと想像しようとすることです。私が想像するに、そのような医師は、程度の違いはあれ、自分自身が精神的に傷つき、苦しんでいて、彼らのあくなき金銭や物質的所有や地位への欲求は自分たちの人生に開いた大きな穴を埋めようとしているのだということです。

悪い知らせを伝える時の医師の冷たく感情がないような態度に、打ちのめされたような気持ちになった患者の話を聞くと、私は、そういう医師が患者に与えた心の傷に対して、怒りを覚えそうになります。無判定の態度を心がけることで、私は、そういう医師の側もまた傷ついていて、医師としての仕事の中で出会うこと重い苦悩に対する防衛機制なのではないかと、思い起こすことができます。

美徳でも何でもなく、私はほかでもない自分自身の経験から、人々のために働き、思いやりと気遣いを施すほうが、即物的な富を追求するよりも、満足でき、楽しく、生き甲斐があるということを知っています。だから、そのような仕事ができることを幸福に思い、豪勢な医師や、臨床に心がこもらない同僚たちはそれほど好運ではないと感じます。そのことを思うと、私は気を鎮めることができます。

そうすると、私は、同僚の医師たちが、多くの別の側面では実際思いやりのある人たちであり、受け持ちの患者のために自分のできる最高の仕事をする人たちであり、妻子を愛する人たちであり、私といくつもの世界についての懸念を共有する人たちであることを思い出すのです。私たちは利害が衝突する面よりも利害が共通する面の方が多いのです。

私はまた、自分の経験から、同僚の医師に判定を下し、その言動を非難することは、絶対確実に私の運動を妨げることを知っています。良くて、うるさい正義漢のレッテルを貼られてしまい私の活動が無視されるか、最悪の場合、私が脅威とみなされて、無尽蔵の資金を持って有利な立場から戦える強力な相手を敵に回してしまうことになります。

ですから、この世界で、どういうことが害をなしているかについて明確にする一方で、私たちとそう変わらない良心を持った人たちも、そのような害をなす行動をしてしまう原理について、私たちは理解に努める必要があります。開かれた心と、無判定の態度を持てば、その害をなす行動をしていた人たちをも私たちの活動に味方として招き入れることができます。

実際の活動では、この教訓はどのように実践できるでしょうか。

ケンタッキー州ルイヴィルは、アメリカの「模範的思いやり都市」で、国際思いやり憲章 (charterforcompassion.org) に参加しています。グレッグ・フィッシャー市長は、人を動かす力を持ったリーダーで、思いやり都市に向けてのキャンペーンに、多くの企業、学校、大学、コミュニティグループ、非営利団体、宗教界を動員しました。

何度ものルイヴィルへの訪問時には、私たちはコミュニティや医療界のリーダーたちとともに、思いやりのある医療の実践を啓発してきました。活動の同志であるルイヴィルでの一番の友達がいうには、「私たちの成功体験は、私たちの集合的な精神、エネルギーそして率先力によって『助産』されたものだ。」とのことです。

ルイヴィルでは、非営利の医療機関や、コミュニティ団体や大学と並んで、数多くの営利の医療機関によって、医療が提供されています。医療においても、熾烈なビジネス競争が行われているのは間違いありません。ビジネス計画に思いやりの入っていない、競合同士の民間医療機関の重役たちを会議のテーブルにつかせるのは、骨の折れる仕事でした。

地元のコミュニティのリーダーたちと協力して、私たちは一緒に、多種多様なグループのリーダーに訴えかけられる、吸引力のある呼びかけを考える必要がありました。意外なことに、「私たち自身のことを気遣おう」という呼びかけは、広い範囲の人々に共鳴されました。これは私のアイデアではありませんでした。地元のリーダーのひとりが、この題名で民間医療機関の重役に一斉送信メールを一通送ったところ、次の朝には、肯定的な返事が溢れるほど舞い込んだのです。

医療で働いている人は全員、医療職の間での、ストレスの高さと燃え尽き症候群の蔓延のことを知っています。ルイヴィルの医療産業界のリーダーたちは、それが自分たちの損益にも影響していることを知っていました。ストレスにさらされ、不満を抱えた医療職は、職場を頻繁に変わったり、病気がちになったり、生産性が低くなったりします。これらはすべて雇用のコストを吊り上げます。ストレスにさらされた医療職は、より高頻度でミスをしたり、患者に不適切な治療をすることは、多くのエビデンスで証明されています。その結果、治療成績ベースの支払いによる収入は減少し、訴訟のリスクも高まります。

ですから、(民間)医療機関のリーダーたちにも、この問題(医療職のストレスの高さと燃え尽き症候群の頻度)を解決するビジネス上の理由があり、また、それに加えて、リーダーたち自身にとっても思いやりを持つことを促す事情があったのです。というのは、ストレスにさらされたスタッフと働きたいマネージャーなんていませんから。そして、のちに実際に目にすることになるのですが、医療機関の重役たち自身も、非常に高い頻度で、ストレスにさらされ、燃え尽き症候群になっているのです。ただ、重役たちは自分の弱さを認めたくないだけだったのです。

そんなふうに、「私たち自身のことを気遣おう」という私たちの呼びかけは、リーダーたちを議論の席に着かせることに成功したのですが、私には、その次に、集まったリーダーたちから足並みをそろえた行動をとるよう確約をとる仕事が待っていました。リーダーたちは、明らかに、私を疑いの目で見ていました。このニュージーランドから来た風変わりな医師は一体誰で、この集まりに自分は本当に関わり合いになりたいのだろうか、と、集まったリーダーたちは考えていたに違いありません。

どうやって、気持ちを通わせ、心をひとつにするか。

見渡したところ、リーダーたちのほとんどが白髪でした。私たちと同じように、それぞれの仕事を始めたばかりの成人した子供がいそうでした。自己紹介の際に、私は、世界中を旅して、様々な国の医療システムに関わってきたことを話しました。そして、私たちが多くの場所で見聞きしたのは、若い医師や看護師の間での、燃え尽き症候群、絶望や不信感であり、そういった若い医師や看護師の理想が医療現場の厳しい現実の中で壊されてしまっていると述べました。

これは、私自身、深く経験したことです。自分の駆け出しの医師の頃の辛い経験や、精神的に孤立無援だったことを覚えています。

私は、目に涙を浮かべて語りかけました。「その苦しんでいる医師や看護師は、私たちの子供たちです。このテーブルについている間は、ご自身の医療機関の院長ではなく、ご自身のヘルスネットワークの長でもなく、医学部の学部長でもなく、ただ、素晴らしい、才能のある、情熱を持った、今まさに看護師や医師や教師としての道を歩き始めた若者たちを心配する親の立場で、議論してもらいたいのです。ともに、その若者たちの職場に、思いやりのある、協力的な職場をつくろうではありませんか。」

私たちは、自分たちの共通の基盤を見出しました。私が、営利医療機関の倫理についてや、そういった医療機関のリーダーたちのお金儲けの動機について、どんな意見を持っていたとしても、私たちは信頼に基づいて一緒に働く土台を見つけたのです。そのために私は自分の怒りと判定を追いやる必要があったのです。