TEDx トーク口述録『すっかり壊れてこれから癒えるところです』
My TEDx Talk: ‘Perfectly Broken and ready to Heal’
このトークの準備期間中のある日、私は忘れられない夢を見ました。その夢の中で、私は知恵と愛にあふれた女神から値の付けようのない贈り物をもらいました。その贈り物は、何人もの熟練職人の手で年代物の木から造られた美しい木の器でした。しかし、その器は熟練の職人の細工なのに、ひび割れて、裂けて、壊れているのでした。
女神はその貴重な贈り物を手渡しながらこう言いました。「ごらんなさい、これはすっかり壊れていますよ。」
この光景は私の頭にこびりついて離れませんでした。頭の片隅で、この夢は途方もない真実を表しているような気がして仕方がなかったのです。もしかして、これには、より良い世界を築こうという私の 12 年間におよぶ使命に対する解答が隠されているのではないだろうか? すべての改革者を勇気づける意味が含まれているのではないだろうか?
私の挑戦は 2004 年の平凡な朝に始まりました。私は病院で勤務についていました。一本の電話で私の世界はばらばらに崩れ落ちました。その電話の声は、あまりに恐怖に震えていたので私は妻の声だとわかりませんでした。私たちの娘クロエが運転中の自動車で事故を起こし、瀕死の状態で病院に運び込まれたのです。

私は、娘の生死もわからぬまま、街を突っ切って、外傷外科の待合室で待っていた妻メレディスと落ち合いました。私は自分がひどく場違いな場所にいる気がしました。医師である自分にとって、病院は勝手知ったる、安心できる場所のはずでした。その日は、自分は全くの部外者で、全く恐ろしく怖い場所に感じました。それは、その時の自分は、瀕死の娘を抱えて恐れおののいている親という、まったく経験のない役回りだったからです。
娘は幸い生きていました。首と背骨を折る重症でしたが、3 ヶ月の入院で身体の怪我はすっかり回復しました。娘に対する医学的治療は素晴らしいものだったと喜んで認めます。娘の治療に当たった多くの医療従事者には、私たち家族は大変感謝しています。
しかし、私の怒りが収まらないのは、娘の扱いが、ひとりの人間に対するものとしてどうかということです。
背骨の牽引のため、娘は 100 日もの間、ベッドに縛り付けられていました。娘の頭は全く動かないよう固定されていました。これが娘がその間ずっと見続けた光景、病室の天井です。

100 日もの間、昼も夜も同じ天井を見続けることを想像してみてください。テレビを見ることも、本や雑誌も読むことができないのです。窓の外を見ることも、お世話をしてくれる看護師さんたちの顔も見ることもできません。気晴らしに何かをすることもできません。
私は、病院は、迅速に障害状況の評価をして、娘の尊厳や自立や精神的衛生を保つために必要な処置を取ってくれるものだと思っていました。
そして、娘に美味しい栄養のある食事が毎日提供され、痛みや苦しみにはすぐに手当てがなされる、人間味のある体制が敷かれているものだと思っていました。それらは人間にとって最低限必要なものだからです。
しかし、現実はそうではありませんでした。私たちの病院では、そのような人間的な配慮は後回しになってしまっていることに私は気付かされたのです。
医療の世界には、人を思いやる医療従事者であふれているのに、医療システム全体は冷淡なものになってしまっているのです。私たちは、病気の治療は効率良く行えるのに、私たちの患者の人間的要求にはしばしば目が行き届かないのです。
数々の先端技術と慌ただしい業務に溢れて、病院は人を癒す場所ではなく、工業製品の生産ラインのようになってしまっているのです。
娘が事故にあった当時、私は上級専門医で、医療のリーダーの地位にいました。私がどんなに自分を無力に感じたか想像できますか。そこまでの権限と権威をもっていながら、娘が患者として辛い目にあうことを防げなかったのです。
その時の苛立ちが、この運動が生まれたきっかけでした。私は、医療を再び人間味あふれるものにし、思い遣りと心遣いを取り戻す長い探求を開始したのです。私が運動に没頭していくことに、妻は賛同し支えてくれました。ふたりで、それぞれの職を辞して、家を売り、「ハーツ・イン・ヘルスケア(医療に心を)」という国際的な運動を立ち上げたのです。

{ The movement for Human-centred Healthcare }
私は本を書き、ウェブサイトを立ち上げ、志を共にする医療従事者に声をかけて回りました。何年もの活動のうちには、世界中の国々で行なった講演や研修は何百回にもなりました。
運動の最初の 10 年間は、同僚の医療従事者たちから私たちの活動はほとんど無視されました。私は荒野の真っ只中で叫んでいるような気がしました。妻と私は、意味のある変化をなかなか作り出すことができず、私たちの書棚に並んだ「社会運動家になる方法」についての本はものの役には立ちませんでした。
しかし、いろいろと試行錯誤を重ねた結果、私たちはしだいに運動を盛り立てるコツを見出して、今では多くの国々の医療に変化をもたらしています。
ここで、私たちの犯したもっとも大きな間違い 5 つと、そこから色々な人と共に学んだ教訓をお伝えしたいと思います。これから私が図を並べて行くうちに、当時の私たちには中々気づけなかった一定のパターンが浮かび上がってくると思います。

運動の当初、私は、自分の目的を義軍による聖戦であると勘違いしていました。労りの気持ちのない管理者や、欲にまみれた医師に憤激し、医療に「正義」の価値観を回復しようとしていました。しかし、私が変えようと思う相手を悪者扱いすることは、ただただ抵抗勢力を生んだだけでした。
私たちは、思いやりの重要な要素が、判定を下さないことであることを思い出しました。私は自分の怒りを手放しました。これは、道義的怒りに動機づけられている、すべての運動家にとってとても難しいことです。
相手の判定や非難をしないことに決めた日から、多くの人々がこちらの話に耳を傾けてくれるようになりました。

私は、また、伝道者になって、科学的研究に裏打ちされた熱意を込めた議論で人々を説得しようとしました。しかし、人々は自分自身で築いた世界観に強くこだわるので、論理や証拠は、私たちの主張の助けにはなりませんでした。
何も「正しい」主張をする必要はないのではないか? 説得口調をやめた日から、私たちの主張はずっと相手に届くようになりました。
私は人間的弱さこそが最高の武器であることに気がつきました。私が自分の心の傷や恐れや間違いを自分から開示した時こそ、相手の気持ちや考えを開くことができるのです。

私たちの 3 つ目の間違いは、自分たちが思いやりの専門家の役を演じてしまうことです。私は、看護師のグループに皮肉交じりに詰問されたことを今でもはっきりと思い出します。あなたたちは、私たちがもう 30 年間も現場で実践していることを、わざわざそれだけ教えにここに来たんですか、と。
このことで私たちは、思いやりはもともと人間誰にも備わっている能力で、看護師や医師は病人を労るために、わざわざその職業を選んだことを思い出しました。
私たちがするべきことは、思いやりを教えることではなくて、会場に集まった人たちがすでに持っている叡智を引き出すことでした。医療従事者は、自分たちの医療行為に含まれる心遣いにどれだけ意義を感じ、患者を思いやり、慈しんでいるかを語ってくれます。仲間同士でのこのような知識の共有は、私たちの専門家としての助言よりはるかに強い学習効果を生むのです。

次の間違いは、私たちの活動にビジネスの理屈を持ち込むことです。私たちは一回いくらの報酬で研修のプログラムやコースやワークショップを実施しました。しかし、思いやりや癒しは、商品と料金との交換の世界には存在しません。私たちのビジネスのやり方と、私たちが盛り立てようとしている価値観は、お互いに矛盾しているように感じました。
そこで、今は、私たちは全く違う活動のやり方をしています。私たちの教材はすべて無償配布しています。料金の見積もりを出すこともしません。顧客には、私たちの能力の限りを尽くして最良のサービスをすることを約束し、私たちの活動を支援するための寄付をお願いしているのです。
この転換には、清水の舞台から飛び降りる心地がしたのですが、その後に知った世界の人々の気前の良さには毎度頭がさがる思いです。

これが私たちの最後の間違いです。最初、私は病んだ医療システムの病因を探る医師の役を演じていました。その結果、私はおびただしい数の問題点を発見しました。しかし、妻と私が気がついたのは、問題点に焦点を当てると、人々はただただお互いを非難しあうだけで、何かを改善する気力を全く失ってしまうということでした。
質問の仕方を変えてみたらどうだろう? そこで、私たちは医療従事者と患者を集めて、心がうまく触れ合った一番良い経験を共有してもらいました。そこから沸き起こった、勇気や思いやりや癒しについての力強い物語の数々に私たちは大変勇気づけられました。
このような物語を共有することは、医療従事者が、深い自負と希望と理想を思い起こす手助けになり、たちまち自信とやりがいが溢れ出すのを私たちは目にしてきました。
これらの新しい方針のおかげで私たちの活動は格段に成果を上げるようになりました。私の同業の医師たちは、私を自分たちの学会に招待して講演させてくれるようになりました。有志が私の著書を別の言語に翻訳して、自分たちの国での活動を始めています。ある米国の都市は、街を挙げて私たちの活動を採用してくれました。
2006 年に活動を開始した時には、”healthcare” と “compassion” でグーグル検索すると、たった 3000 件の結果しか上がってきませんでした。今では同じグーグル検索が、4900 万件もの結果が上がってきます。
私たちの新しく得た成功の法則を振り返って、そこに浮き彫りになったパターンをお見せします。

うまくいかなかった方策にはすべて分断が含まれます。
うまくいった方策には連携が含まれます。
私たちが、自分の立場の道義的正しさを宣言する時には、私たちは他者を断罪し、離れた位置に立ちます。私たちが、相手を説得しようとする時には、私たちは抵抗勢力を作り出します。私たちが、自分たちを専門家だと名乗る時には、他者を無知呼ばわりします。私たちが、自分の才能や才覚を商品にする時には、私たちは売り手と買い手の側に分かれてしまいます。私たちが、何のせいなのかと口論する時には、私たちは戦線を引いてしまいます。
私たちを分断する行為はすべて、私たちのより良い世界を作ろうとする目的を挫いてしまいます。
私たちを結びつける行為はすべて、変革を進める力になります。
私は、だんだん、自分が医療の変革を先導する役割と、自分が医師として、患者との間に、癒す力を持った結びつきを強める役割との間に、意義深い共通点を見るようになりました。
私は、医師が患者と人間的信頼関係を構築すれば、患者の免疫系を強化し、組織の修復力を高め、炎症を抑え、痛みを和らげ、回復を促進するという、目をみはる研究結果があることを見い出しました。思いやりをもって患者を労わることは、多くの薬と同じぐらい強力に患者を治すのです。
私は、いつもすでに無理のかかっている医療部門に、無理強いをする患者たちをみてきました。しかし、私は、患者が逆に健康や治癒や福祉の豊富な原動力になりうることに気がつきました。
医療を変えようとする活動の中で、私は同じことに気づきました。豊富な知識や技能や思いやりや勇気や叡智、私たちが作ろうとする新しい世界が、講演の会場にすでにあり、見出されるのを待っているのです。
私は、世の中の問題の多くが同じ構造をしていると思っています。変革の目的がどうあれ、立ち向かうべきものが、気候変動でも、貧困でも、地域の中での暴力でも、私たちの抗議や闘争や反対運動は、結局のところ我々を今よりももっと分断してしまうだけなので、実は逆効果なのではないかと考えるようになりました。
では、私たちはただ諦めてしまうのか? 私は多くの患者からその答を教わりました。
医師として、回復の見込みがなく、心身が衰弱した患者に対面するとしましょう。そのとき私の薬は無力です。
以前は、しばしば、効果のない治療法で患者の病状と闘いました。しかし、今は、患者の衰弱に降参し、治療を諦め、ただ思いやりと寄り添いを提供する勇気を持つように努めています。
思いやりは、私に患者の絶望の淵に共に座り、捨て置かないことを要求します。私が、その神聖な場所に居続ける勇気を持てた時、患者は、自分の心を開いて、癒しへの道を歩き出せるのです。私はその奇跡を何度も見ています。
こうして、ようやく私は自分の夢の意味を理解しました。
この危機に瀕した時代、今の世界の破綻ぶりは、実は天の与えた機会なのです。世界は癒しに備え、癒しを待っているのです。
この破綻という機会を心で受け取り、思いやりを求める声を聞き、自分の弱さを隠さず、謙虚で寛大になることです。
私たちが争いを手放した時、私たちは安心と希望に満ちた癒しの空間を作り出せるのです。外の世界を修繕する必要はありません。なぜなら、必要なものはすべて、ここにそろっているからです。
あなたはこの機会を手にしますか?
それはすっかり壊れていますよ。