公共活動家としての私の経験
My Experience as a Public Activist
Hearts in Healthcare (医療に心を)運動のおかげで、私たちは世界中のいくつもの国を訪れました。最初の頃、私たちは、ニュージーランド、サウジアラビア、アメリカそしてドイツといったそれぞれの国で、医療の抱える問題が全然違うことを見聞することになると思っていました。しかし、それは間違いでした。
例えば、一見すると、利益追及で動くアメリカの医療システムと、私の故国ニュージーランドの完全に国有化された医療システムは、全く違うように思えます。しかし、違いは表面的で、深く根ざす問題は同じです。病気の治療から利益を得るけれども、私たちを健康に保つことには失敗して、あまりにしばしば患者の人間としての必要事項を無視するのです。
違う国々の間で、問題点が同じだけでなく、あまりにしばしば、その問題を解決しようとして人々が取る戦略も似通っているのです。政府は市場原理に基づいた解決策あるいは様々な形での規制に頼ろうとしますが、いずれも医療の根本的な問題を解決する力はありません。政府の方針がうまくいった試しがまずなく、医療はどこでも危機に瀕しています。
問題は医療にとどまりません。教育の改革、不正の防止、格差や貧困や暴力の解消、環境を保護する試み、これらについてキャンペーンしている人々は、やがて同じ結論にたどり着きます。これらは、全世界的問題で、西側世界の問題と深く結びついています。解決策が見つかりそうにないのも、誰もが経験していることです。
最近、私は、非常に名声のある大学の医療政策の教授に会いました。雑談の中で、その教授は、何年も自ら研究し、他のエビデンスも検討した結果、もうどんな医療政策を推奨すべきか全くわからないと打ち明けました。その教授の分析によると、市場原理にしろ、政府による規制にしろ、効果のあったものは何もないとのことでした。私はその告白に面食らいましたが、その誠実さには希望を感じました。
私自身、10 年間、地元で、国内で、そして国際的に医療を改善しようとしてきました。病院の幹事会の一席につき、国の医療委員会の長につき、世界保健機構(WHO) の患者安全と患者通信医療への戦略に関するアドバイザーを務めました。ニュージーランドでは、私は、保健省の医療の品質向上と患者安全のための優先政策についての報告書の共著者になりました。これらの役職の権限を以ってしても、重点的な支援を得てしも、私は人間的で思いやりのある医療システムへむけての取り組みを進めるのに難渋しました。
そのあまりもの苛立ちから、私は公式な指導的立場を全てやめ、社会運動家としてのキャンペーンを始めました。しかし、10 年間丸々費やしても、この戦略でもあまり進歩を遂げることができませんでした。
何年もの間、私の運動は離陸しませんでした。看護職、それと人道主義に基づく医療の分野であるホスピスケアや統合医療のようなグループは、私たちの活動を支援してくれましたが、主流の医師職からは無視されていました。
医療の管理職も、私たちの活動に重要性を見出してはいませんでした。多くの医療機関に、コンサルティングの仕事に招かれ、私たちの努力への熱狂的な反響を集めても、ここでも、私たちは、どの招かれた医療機関で、一度としても、持続的改善のプロセスを作り出すことはできなかったのです。
なにが私たちの努力を打ち消しているのでしょうか。どこに根本的な問題があるのでしょうか。
科学やエビデンスの不在が私たちが成功しなかった理由ではありません。何年にもわたって、人間中心の思いやりのある医療が、純粋に医学的あるいは技術的な治療に対して、劇的に、患者の治療成績を向上し、生存年数を伸ばし、患者満足を高め、治療の必要性を減少させ、費用を削減し、医療従事者に仕事にやりがいや喜びをもたらすことを示す、おびただしい科学的研究成果を見つけてきました。これは、医療の出資者、医療職、患者にとって、三方よしの状況です。
患者がもっと人道的な医療を求めて悲痛な声をあげ、政府や医療機関の幹部が医療の膨れ上がる費用に頭を抱え、医療従事者が次々に燃え尽きる中、普通は、すべての問題を解決する術が、野火のように広がるとは思いませんか? 私はそう思いましたが、間違っていました。
世界を変える努力が徒労に終わる経験は、私だけのものではないのではないか。私たちは、環境や、社会や、政治に関する大きなキャンペーンは果たしていずれも実際に効果を上げているのか問い直さなければいけないのではないか。社会運動というのは成功しているのだろうか。
私のこの問いは、楽観に基づいたもので、悲観から出たものではありません。今の世界の壊れぶりに対する深い悲しみを感じる一方で、私は同時に、人間の精神への深い信頼、可能性は無限であるという感覚、そして、より良い世界が現れるのに時間はかからないという信念を持っています。
この改革の戦略に関する問いが重大で危急なものであるのは、その楽観があるからこそです。
もし運動の大きさが成功の先行指標であるなら、私たちは環境問題に対して、大きな進展を期待できるはずです。グリーンピースは 2015 年に 280 万ものメンバーを誇り、大きな注目を集めるキャンペーンやデモで、メディアの見出しを飾っています。環境団体の 350.org は、2014 年に、ニューヨーク市で行われた People’s Climate March (市民の気候マーチ)で 40 万人の支援者を集め、世界各地 162 ヶ国で合計 2646 回のイベントを開催しました。幅広い環境や社会問題についてキャンペーンをしている Avaaz は、4000 万人の追従者を誇ります。
これらは巨大な運動で、確かに問題に対して注目を集めているものの、実際により良い世界を築くことに成功しているでしょうか。
狭い範囲では、たくさんの輝かしい成功例があり、私たちの抱える問題にはおびただしい解決策が提唱されているものの、すべての大きな環境問題は、世界的な規模では、改善ではなく悪化の一方のように見えます。二酸化炭素の排出量は増え続け、気候変動に対する各国政府の足並みを揃えた活動の兆しは一向に見えません。工業化された農業は自然の生態系に大被害をもたらし続け、大規模な森林伐採や生体多様性の減少が私たちの眼前で進行しています。
グリーンピースのような活動団体からキャンペーンの成功が宣言された時も、中身のない勝利です。石油パイプラインを放棄させられたり、工場を閉鎖させられた会社は、単に、ドルによる投資の見返りに環境規制を緩めるのに躊躇しない別の国に、会社の活動拠点を移すだけのことです。システム全体で見れば、もしかしたら私たちは問題を悪化させているのです。よい環境保護措置のある国での生産拠点を閉鎖して、その代わりに環境規制などない国に輸出しているのです。
二酸化炭素排出についても同じです。西側世界は、中国に二酸化炭素排出の削減を求める一方で、中国の二酸化炭素排出の多くは、西側世界用に設計された消費財の生産から来ることを都合よく忘れているのです。
2011 年の「アラブの春」の幕開けとともに、大規模な社会運動によって、権力のバランスが逆転し、すぐにも専制的体制がひっくり返るかのように見えました。しばらくの間、社会運動家の世界は、大きな希望で包まれていました。しかし、中期的な観点では、それほど励みになるようなものではありません。アムネスティ・インターナショナルの『アラブの春、5 年後の現実』(The Arab Spring, Five Years On) によれば、
2011 年に、アラブ世界中で抗議活動者が街に繰り出し、それぞれの国の政治指導者に圧力をかけ、何年にもわたる圧政をやめさせようとした。かつてない規模の大衆抗議活動と改革要求運動が湧き起こり、中東と北アフリカを席巻した。それはチュニジアで始まり、数週間のうちにエジプト、イエメン、バーレーン、リビアそしてシリアに飛び火した。
エジプトのホスニー・ムバーラクやチュニジアのザイン・アル=アービディーン・ベン・アリーをはじめとする長年君臨した専制的な政治指導者たちが権力から追われた。
多くの人が、「アラブの春」によって、政治的改革や社会的正義を実現する新政府がもたらされるものと期待しました。しかし、現実には、さらなる戦争と暴力と、表立ってより公正でより開かれた社会を求める人々への弾圧がもたらされたのです。
これらの運動を短い時間軸で、成功か失敗かを判定するのは間違っているかもしれません。私たちは、単純にこれらの出来事の帰結をまだ知りませんし、歴史には、ベルリンの壁の突然の崩壊のように、誰も予想しなかった重大な変化が起こる例がたくさんあります。
しかし、私たちはそれでも、「他にもっといいやり方があるのではないか」を問う必要があります。
私の故国、ニュージーランドには、抗議運動の誇るべき歴史があります。私たちは国を挙げて「非核」を宣言し、アメリカの軍艦がニュージーランドの領海に立ち入ることを禁止しました。1981 年には、スプリングボックスのラグビー遠征の際に、国じゅうでアパルトヘイト反対の抗議活動や暴動が起こりました。
ずっと最近では、私の地元の市民は、オキュパイ運動を矜持を持って支援しましたし、環境問題について精力的なキャンペーンを行なっていますし、環太平洋パートナーシップ協定 (TPP) にも反対して抗議し、ドメスティック・バイオレンスから、乳がんまで、あらゆる主義主張についてマーチを組織しています。私たちは、貧困、ホームレス問題、薬物依存、気象変動、がん、ドメスティックバイオレンスそして悪徳企業に対する「戦争に勝利」しようとしています。
しかし、私たちは後退を余儀なくされているように感じます。私たちの社会は、広がる格差、子どもの貧困、恐ろしい率でのドメスティックバイオレンス、環境を破壊し二酸化炭素の排出を増やす農業や牧畜の高密度化といった問題を抱えています。私たちの国の川のほとんどは汚染されて泳ぐのに安全ではありません。私たちの政府は、環境的、社会的、気象的コストを差し置いて、なんとしても GDP を増やそうと必死になっているように見えます。
社会運動家としての私たちの役目として、どうすれば、これらの問題にもっと効率的に取り組むことができるでしょうか。私たちのキャンペーンや抗議は、実際には、より良い社会を築いていないのかもしれません。おなじように、私たちの民主主義や政治システムはこれらの問題に対処する能力がないのかもしれません。
私たちが、医療を改善する取り組みの中で経験したように、進展のなさは知識の欠如によるものではありません。地球温暖化を解決するのも、世界の人全てに十分な食料を供給するのにも、私たちの自然環境の保全状況を改善するためにも、なにも新しい技術は必要としないのです。国連でさえ、有機農法による多毛作で、どんな工業化された農法や遺伝子組み換え作物よりも、単位面積当たりの収量や健康寄与度で上回ることができることを認めているのです。
慢性疾患やがん全体の少なくとも 80% は私たちの生活習慣や、工業化された食品供給システムや、環境汚染から起こっています。ということは、私たちにもっとたくさんの病院はいらないのです。ただ、健康なコミュニティと健康な環境をつくればよいのです。問題は社会的、政治的なものであって、技術的なものではないのです。
もしかしたら、私たちはみんな、より良い世界を築く方法について間違った思い込みをしているのではないでしょうか。私たちのすべての取り組みにも関わらず、社会の問題が解消しない、あるいは悪化するのは、たぶん、私たちの戦略の中に何か本質的に、解決しようとする問題をむしろ逆に作り出してしまう部分が含まれているのではないでしょうか。
生涯を通じて、運動家、講演者、そして著述家をしてきた私は、そういう苦闘と失望と失敗に満ちた長い道を歩いてきましたが、根気よく社会運動を続ける中で次第に、もっと成功につながる戦略を見出してきました。今私たちがとっている方法は、この世界でのリーダーシップや正攻法についての私たちの思い込みの多くを否定する、非常に直感に反する方法です。
私たちの Hearts in Healthcare (医療に心を)運動は、現在、世界中の多くの国の医療従事者を元気づけています。私の本は、ボランティアによって翻訳され、それぞれの国での運動を盛りたてています。長年医師仲間から無視されたあと、今では医師の集まる会合で表彰され、招待講演を行なっています。私たちが始めた運動を支援する専門機関や専門誌が立ち上がり、主流のメディアでも、私たちの提言が取り上げられるようになってきました。
なんの公式な権力も地位も、なんの権威も、なんの権限もなく、乏しい資金や資源しかないにも関わらず、自分が世界的に知られた医療のリーダーたちと同じ舞台に立っていることに、私は気後れをしてしまいます。そういうリーダーたちが全員、私の主張を受け入れるわけではないですが、聴衆が熱心に聞き入り、人々が心から反応していることはわかります。私たちは皆、世界が壊れていること、私たちが今までと違う方法を探さなければいけないことを理解しています。私は、聞き手の深いところにある何かを掻き立てているのです。
この新しく見出した成功の観点から、私は各種の運動家が共通して採っている戦略や戦術に対して、思いもよらない異議を提示しています。私は自分の失敗から学びました。私は、従来の社会運動の伝統的な役割やリーダーシップのひとつひとつについて、単純によい世界を作り出すことには役立たないことに気づき、それぞれに対して、直感に反する代替策を見つけてきました。
ここで、私は妻のメレディスに感謝しなければなりません。妻と私は、全く違う職業的背景を持っています。妻は長らくコミュニティの発展に尽くしてきましたが、私は、臨床現場と医療のリーダーシップの職についていました。妻は、いつも私が誠実であるように注意してくれました。妻は、私の有りようが、深い部分から誠実であるように求め、矛盾した言動があれば指摘することに躊躇しませんでした。妻の経験と直感のおかげで、私は、自分たちが属するコミュニティに、実質的変化をもたらす方向へと舵を切ることができました。
妻と私は、ふたりでよく相談して医療についての戦略を立て、世界中を一緒に旅し、いろいろな社会システムを観察し、看護学生から医療機関の上級管理職まで何千もの参加者を対象にワークショップをこなしてきました。私たちは、社会起業、リーダーシップ、心理学そしてスピリチュアルな涵養についての書籍を集め、ピーター・セージ、ブルース・リプトン、マーガレット・ウィートリーやパッチ・アダムスといった著名な思想家とも多くの時間を過ごす栄誉に浴しました。私の考えは何ひとつとして本当の意味で私独自のものはありませんが、それらを組み合わせて見出した意味や、その今の世界における応用については、生涯を通じた苦闘から学んだ私独自の解釈です。
この本でみなさんにお伝えする考えは、妻との長年にわたる深い対話、何がうまく行って何がうまくいかなかったかの私たちの反省、そして今までと違った戦略についての思い切ったアイデアから生まれたものです。公衆の面前で私が講演をするたびに、妻は静かに聴衆の最後列に座り、人々がどのように反応するか、聴衆からの質問に聞き入り、また聴衆の態度や考えを分析してくれます。妻は、私にフィードバックをくれ、その時の聴衆に対し、どうすればもっと効果的だったかをコーチしてくれます。このような話術を磨く支援や知恵を授かる幸運に恵まれている講演者はそうないでしょう。
妻とともに、私はなぜ運動家が社会を変革するのにこれほど苦闘しているのか、そして、その代わりに進むべき道は何かについての理論を作り上げました。
この小冊子には、私たちが苦しみながら学んだ教訓が詰まっています。まず、最初に私の TEDx トークの講演録を紹介し、そのあとで、トークで紹介された私たちの見解について詳細に解説していきます。