Hearts in Healthcare Publications
Translated into Japanese by Tiapana ICT Services Limited
Offering a Gift

贈り物を提供する
4. サービスを売り込むな
私たちの経済の枠組みも、営利企業と慈善事業の双方に関わる法体系や組織統括も、いずれもお金をベースに回っているので、すべての社会運動家にとって、お金は大きな問題です。
世界中の多くの社会的および環境的問題の根っこには、私たちの現在の経済システムがあります。現代の経済理論は、個々人を、自分自身の経済的利益を最大化されるように動機づけられた独立した主体であると仮定しています。その上、競争こそが複雑な問題に対するイノベーションを促し、「市場的解決」を見つける最も強い力であると信じられています。経済的成長の飽くなき追求によって、あらゆる人間の才能や、天然資源は、とことんまで利用しつくし、消費財に作り変えられ、利益のために市場で取引されてしまいます。
これらの経済的想定は、資産の所有、管理および保護に関する法体系を必要とします。したがって、人間の創作する物語や思想や音楽は「知的財産」になり、私たちの海や土地や川や湖は「資源」となって、しばしば自然環境への多大な犠牲を伴って、採掘されたり開発されたりします。
これらの経済学的理論はひとつとして、人間の利他主義や、気遣いや、コミュニティや協力の存在や重要性の価値を認めません。また、人間が生物圏から離れては存在できないことや、自然界は収奪すべき「資源」ではなく、私たちの生存に必要不可欠な決定因子であることを正当に評価しません。
ネオリベラリズムの経済的理論によって、状況はますます悪化し、格差の拡大、社会の分裂、緊縮財政、社会福祉や医療サービスの崩壊、労働条件の悪化、若者の失業そして環境の悪化につながっています。
ですから、売り手も買い手も気をつけるべきです。社会運動のための活動の中で、自分たちの時間や専門知識やサービスや本や映画をお金のために売るならば、それはともすれば、自分たちが解決しようとする問題の多くを生じさせている、当の経済システムと、そこに巣食う価値観の存続に手を貸していることになりかねないのです。
お金そのものには本質的に悪いことは何もありませんが、私たちは、お金の本来の目的、価値の交換を促進することを歪めてしまっているのです。そのことは、アフリカの貧しい農夫たちに、電気の供給がないところでさえ、携帯電話が急速に普及していることを知るまでは本当には理解していませんでした。なぜそんなことが起こっているのでしょうか。それは携帯電話によるモバイルバンキングが、アフリカの農夫の地域経済を変革しているからです。
電気の供給がないところでも、太陽電池で動くデータ接続された基地局のネットワークによって、携帯電話のサービス範囲が拡大しているからです。農夫は藁屋根の泥床の小屋に住んでいても、太陽電池の充電装置を持っていれば、基本的機能を備えた携帯電話は使用できるからです。
どうしてモバイルバンキングがそれほど重要なのでしょう。それは、遠隔地に信頼できるバンキングシステムが成立する以前には、農夫は地元の市場で物々交換することしかできなかったのです。農産物は、季節商品でしかも日持ちしません。したがって多くの農産物は無駄になっていたのです。モバイルバンキングが導入されることによって、農産物はお金と交換できるようになり、距離や時間を超えて取引ができるようになったのです。農夫は対価を、穀物倉庫でなく、銀行口座に保管できるようになったのです。
したがって、問題は、お金そのものではなく、私たちが振興しようとする価値観を持続させるような形で、どのようにお金を使うかです。
その観点からすると、慈善事業や、慈善団体の枠組みも潜在的な問題を抱えています。私たちの医療に思いやりを取り戻す活動も、最初の 5 年間は活動母体として慈善団体の形式を採りました。その後、その戦略はあきらめて、今は自分たちのお金を有限会社の形で投資して、社会起業として運営しています。
慈善事業として運営している時には 2 つの障害がありました。
ひとつめの深刻な問題は、慈善団体は、本質的にリスク回避的で保守的であるということです。私たちは根本的に今までと違う、時には大きな損失に直面したこともある、リスクのある戦略を試すことでやっと成功してきました。例えば、Hearts in Healthcare (医療に心を)運動では、私たちのオンラインでの存在感を確保するために 4 万ドルも費やしてソーシャルメディアとコンテンツ管理のプラットフォームを整備しました。1 年後、私たちは、そのシステムが率直に言ってうまく機能していないという結論に達して、廃止してしまいました。私たち自身のお金だからこそできたことです。
もし、私たちがまだ慈善団体のままだったら、運営幹事会に出向いて、義援金のうち 4 万ドルも損失したことを報告することなどおよびもつかなかったでしょう。寄付者からの大反対が沸き起こったでしょう。幹事会の判断は、おそらく悪手の中の最悪のもの、破綻したシステムを使い続けることにこだわったでしょう。
慈善事業にとって、慈善財団や政府からの出資を受け入れることは、さらにひどく自分たちの活動を制約することになります。出資には必ず紐がついてきます。出資を受け入れる時には、特定の成果を出すこと、または特定の活動を実行することを約束して契約を結ばなければなりません。出資条件に合わせなければならないので、契約内容に記載された達成事項によって自分自身の活動目的が歪められてしまうことがしばしば起こります。私たちの経験からすると、長期的に見て、そのような出資を受け入れることは、自分の組織を破壊することになりかねません。
まとめると、わたしたちの経済システムに組み込まれているお金の使い方についての価値観と、財務上の説明責任のための組織構造は、いずれも、現状維持に傾きやすく、私たちが複雑な問題に対して全く新たな解決策を見つける能力を削ぐ可能性が強いのです。
Hearts in Healthcare (医療に心を)運動では、これらの問題を克服するために、幾らかの勇気、時には清水の舞台から飛び降りる覚悟が必要な、いくつかの戦略を採っています。
A) 身銭を切る覚悟をする
最初の戦略は、浄財ではなく、身銭を切ることです。わたしは、パートタイムで医療の仕事をすることで、Hearts in Healthcare (医療に心を)運動の資金を工面しています。
私たちは、慈善団体を解散して、その代わりに私たち自身のお金を小さな事業会社の形で投資しています。その思い切って新たな手を打てる自由を利用して、わたしたちは失敗した 4 万ドルのプラットホームを個人的損失として損切りしました。新しいデベロッパーと新規にいちから作り直して、ずっと良いウェブサイトを構築して、今でもそれを使用しています。この失敗はとても高くつきましたし、簡単な決断だったというつもりはありません。
私財を投じることで、わたしたちは思い切った判断をすることができますし、昨日にしたことにとらわれずに、その日、その日に最もうまくいくことを追求することができます。
慈善事業ではないにも関わらず、人々は私たちの活動を支持して寄付をしてくれますので、お金の使途については説明責任を果たすように心がけています。私たちがしないのは、特定のプログラムや成果の約束で、ただ、私たちの能力の限り、最良の仕事をし続けることだけ約束しています。
私たちの制約は、出来うる限りの透明性を保証することです。会員への広報では、私たちは自分たちの成功よりも、間違いや失敗について多くを書いて知らせています。この透明性によって築いた信頼のおかげで、私たちは相次ぐ寛大な支援に感動させられています。私たちは会費を集める考えを廃して、任意での寄付は受け付けつつ会費は無料にしています。
B) ギフトエコノミーへの移行
次の戦略は、ギフトエコノミーに移行することです。私たちの活動では、知的財産権を主張せず、すべての資料を無料で提供し、配布や改変を自由にできるようにしています。公園やコンサルティングの仕事についても、もう決まった費用を請求することはしていません。私たちは、呼ばれた組織やイベントや顧客ごとに、私たちの能力の限りの最高のサービスを提供した上で、私たちの活動を支援するための寄付をお願いしています。この方法によって、私たちは多くの活動を無料で行う一方で、いくつかの他のイベントでは手厚い報酬をいただいています。
多くの顧客が、私たちが自分から請求しようと思うよりたくさんのお金を寄付してくれます。その厚情には感謝するばかりで、しかもそのような好意は関わったすべての人たちに温かい気持ちを残します。私たちにとっては、運動を前に進めることの方が、物質的に満たされることや社会的地位よりもずっと大事です。私たちがビジネスクラスの航空運賃を辞退して、エコノミークラスで移動すれば、顧客にもっと有意義なことに喜んでお金を出す余地を残すことができます。
ギフトエコノミーの中で、ペーパーバックの本のように形のあるものを提供するのは、ちょっと厄介です。当然、私たちの側には事前の出費が要りますし、顧客の側からは私たちが負担するコストが一体どれぐらいなのか、対価にどれぐらいのお金を払うべきかわからないかもしれません。私たちは顧客に幅を持った寄付の参考額を提示することもありますが、とても奇妙な感じがするかもしれません。
できるだけ事前には当てにしないようにしていますが、活動を続けられるだけのお金が入ってこないことにはどうしようもありません。時には私たちの気前の良さにつけ込む人もいます。ある医学会では、医師の多くがお金を払うつもりが全くなく、ただで本を持って行ったときのことを覚えています。私は自分の本がたくさん持っていかれれば、その分だけ、私の考えを売りこむことができたのだと思うようにしています。
普通の商取引に慣れた顧客の中には、私たちの戦略にひどく混乱する場合があります。経営上や財政上のシステムを通すためだけに請求書を依頼される場合があります。その一方で、私たちのやり方に得心して、非常な熱意と篤志で応えてくれる組織もあります。ギフトエコノミーに移行することで、自分たちの価値観にあった組織を見つけやすくなり、そのような組織との協力もしやすくなりました。
デジタル素材の共有の容易さは、ギフトエコノミーと大変相性が良く、通常の経済活動との両立も可能です。たとえば、私はこの本を PDF ファイルで無料で提供し、誰とでも制限なく共有していいことにしています。そして寄付を募ります。さらに、Amazon を通じてペーパーバック版を販売します。それは活動を国際的に知らしめる共に、新たな収入源になる可能性があるからです。紙の本を贈り物にするのは好まれているので、実際にお金を払って本を買った人も、他の人への贈り物にしていることも多いのです。
C) クラウドファンディング
3 つめの戦略は、活動のいくつかをクラウドファンディングで資金調達することです。以前は、アメリカのルイヴィル市への訪問費は、何本もの基調講演の講演料とワークショップを請け負ったさまざまな組織からの謝礼金を寄せ合わせて賄っていました。そして、その時の顧客となったそれぞれの会社や大学は、私たちが提供した素材に対して「所有権」を主張しました。私たちを招待する市側の担当者は、それらの料金を交渉して航空運賃などの私たちの経費を工面するのに苦労していました。
一番最近のルイヴィル市への訪問では、妻のメレディスが Indiegogo というプラットホームを使ったクラウドファンディングのキャンペーンを行うことを思いつきました。集まったお金の代わりに、私たちは市に 6 週間もの間滞在してサービスを提供することを約束し、その間、寄付するかしないかに関わらず、思いやりを持った医療を築くのに手を貸したい人なら誰でも、時間と労力を割いて協力することにしました。その時には 30 日間のうちに 2 万ドル近くが集まり、調達目標を達成することができました。
そのクラウドファンディング・キャンペーンでは、共通の目的のために、組織や個人が集めた募金の額を競うことが奨励され、滅多に見ない協力と篤志の雰囲気が盛り上がりました。一定の額以上の募金に対しては「特典」も用意しましたが、その申し出を受け取った人はわずかでした。みんな、自分たちの街で私たちが活動するのを支援するだけで大喜びだったのです。私たちは、わずかな蓄えの中から募金してくれた学生を含む個人の厚意には、ありがたい思いでいっぱいでした。
クラウドファンディングを資金調達策に採用したことで、私たちの活動は、対価を払った組織だけが恩恵を受ける一連のイベントから、市全体を巻き込んだ政策に格上げされました。私たちは 60 以上もの講演、ワークショップ、会合やイベントを6 週間、31 もの違った組織を通じて行いました。私たちの活動は、オープンスペースという場所での 1000 人以上も集まり、地元のリーダーたちがさまざまな思いやりを持った医療の取り組みを前に出て紹介した、コミュニティイベントで最高潮に達しました。
私たち、社会運動家は、経済システムのことを深く考える必要があります。お金だけが価値交換のためのコインではありません。多くのコミュニティで大きな社会的、健康的メリットを伴ってタイムバンクが広がりつつあります。タイムバンクでは、1 時間単位で寄付された時間が通貨で、すべての人に平等に「支払われ」ます。
Hearts in Healthcare Publications
Translated into Japanese by Tiapana ICT Services Limited
Offering a Gift

贈り物を提供する
4. サービスを売り込むな
私たちの経済の枠組みも、営利企業と慈善事業の双方に関わる法体系や組織統括も、いずれもお金をベースに回っているので、すべての社会運動家にとって、お金は大きな問題です。
世界中の多くの社会的および環境的問題の根っこには、私たちの現在の経済システムがあります。現代の経済理論は、個々人を、自分自身の経済的利益を最大化されるように動機づけられた独立した主体であると仮定しています。その上、競争こそが複雑な問題に対するイノベーションを促し、「市場的解決」を見つける最も強い力であると信じられています。経済的成長の飽くなき追求によって、あらゆる人間の才能や、天然資源は、とことんまで利用しつくし、消費財に作り変えられ、利益のために市場で取引されてしまいます。
これらの経済的想定は、資産の所有、管理および保護に関する法体系を必要とします。したがって、人間の創作する物語や思想や音楽は「知的財産」になり、私たちの海や土地や川や湖は「資源」となって、しばしば自然環境への多大な犠牲を伴って、採掘されたり開発されたりします。
これらの経済学的理論はひとつとして、人間の利他主義や、気遣いや、コミュニティや協力の存在や重要性の価値を認めません。また、人間が生物圏から離れては存在できないことや、自然界は収奪すべき「資源」ではなく、私たちの生存に必要不可欠な決定因子であることを正当に評価しません。
ネオリベラリズムの経済的理論によって、状況はますます悪化し、格差の拡大、社会の分裂、緊縮財政、社会福祉や医療サービスの崩壊、労働条件の悪化、若者の失業そして環境の悪化につながっています。
ですから、売り手も買い手も気をつけるべきです。社会運動のための活動の中で、自分たちの時間や専門知識やサービスや本や映画をお金のために売るならば、それはともすれば、自分たちが解決しようとする問題の多くを生じさせている、当の経済システムと、そこに巣食う価値観の存続に手を貸していることになりかねないのです。
お金そのものには本質的に悪いことは何もありませんが、私たちは、お金の本来の目的、価値の交換を促進することを歪めてしまっているのです。そのことは、アフリカの貧しい農夫たちに、電気の供給がないところでさえ、携帯電話が急速に普及していることを知るまでは本当には理解していませんでした。なぜそんなことが起こっているのでしょうか。それは携帯電話によるモバイルバンキングが、アフリカの農夫の地域経済を変革しているからです。
電気の供給がないところでも、太陽電池で動くデータ接続された基地局のネットワークによって、携帯電話のサービス範囲が拡大しているからです。農夫は藁屋根の泥床の小屋に住んでいても、太陽電池の充電装置を持っていれば、基本的機能を備えた携帯電話は使用できるからです。
どうしてモバイルバンキングがそれほど重要なのでしょう。それは、遠隔地に信頼できるバンキングシステムが成立する以前には、農夫は地元の市場で物々交換することしかできなかったのです。農産物は、季節商品でしかも日持ちしません。したがって多くの農産物は無駄になっていたのです。モバイルバンキングが導入されることによって、農産物はお金と交換できるようになり、距離や時間を超えて取引ができるようになったのです。農夫は対価を、穀物倉庫でなく、銀行口座に保管できるようになったのです。
したがって、問題は、お金そのものではなく、私たちが振興しようとする価値観を持続させるような形で、どのようにお金を使うかです。
その観点からすると、慈善事業や、慈善団体の枠組みも潜在的な問題を抱えています。私たちの医療に思いやりを取り戻す活動も、最初の 5 年間は活動母体として慈善団体の形式を採りました。その後、その戦略はあきらめて、今は自分たちのお金を有限会社の形で投資して、社会起業として運営しています。
慈善事業として運営している時には 2 つの障害がありました。
ひとつめの深刻な問題は、慈善団体は、本質的にリスク回避的で保守的であるということです。私たちは根本的に今までと違う、時には大きな損失に直面したこともある、リスクのある戦略を試すことでやっと成功してきました。例えば、Hearts in Healthcare (医療に心を)運動では、私たちのオンラインでの存在感を確保するために 4 万ドルも費やしてソーシャルメディアとコンテンツ管理のプラットフォームを整備しました。1 年後、私たちは、そのシステムが率直に言ってうまく機能していないという結論に達して、廃止してしまいました。私たち自身のお金だからこそできたことです。
もし、私たちがまだ慈善団体のままだったら、運営幹事会に出向いて、義援金のうち 4 万ドルも損失したことを報告することなどおよびもつかなかったでしょう。寄付者からの大反対が沸き起こったでしょう。幹事会の判断は、おそらく悪手の中の最悪のもの、破綻したシステムを使い続けることにこだわったでしょう。
慈善事業にとって、慈善財団や政府からの出資を受け入れることは、さらにひどく自分たちの活動を制約することになります。出資には必ず紐がついてきます。出資を受け入れる時には、特定の成果を出すこと、または特定の活動を実行することを約束して契約を結ばなければなりません。出資条件に合わせなければならないので、契約内容に記載された達成事項によって自分自身の活動目的が歪められてしまうことがしばしば起こります。私たちの経験からすると、長期的に見て、そのような出資を受け入れることは、自分の組織を破壊することになりかねません。
まとめると、わたしたちの経済システムに組み込まれているお金の使い方についての価値観と、財務上の説明責任のための組織構造は、いずれも、現状維持に傾きやすく、私たちが複雑な問題に対して全く新たな解決策を見つける能力を削ぐ可能性が強いのです。
Hearts in Healthcare (医療に心を)運動では、これらの問題を克服するために、幾らかの勇気、時には清水の舞台から飛び降りる覚悟が必要な、いくつかの戦略を採っています。
A) 身銭を切る覚悟をする
最初の戦略は、浄財ではなく、身銭を切ることです。わたしは、パートタイムで医療の仕事をすることで、Hearts in Healthcare (医療に心を)運動の資金を工面しています。
私たちは、慈善団体を解散して、その代わりに私たち自身のお金を小さな事業会社の形で投資しています。その思い切って新たな手を打てる自由を利用して、わたしたちは失敗した 4 万ドルのプラットホームを個人的損失として損切りしました。新しいデベロッパーと新規にいちから作り直して、ずっと良いウェブサイトを構築して、今でもそれを使用しています。この失敗はとても高くつきましたし、簡単な決断だったというつもりはありません。
私財を投じることで、わたしたちは思い切った判断をすることができますし、昨日にしたことにとらわれずに、その日、その日に最もうまくいくことを追求することができます。
慈善事業ではないにも関わらず、人々は私たちの活動を支持して寄付をしてくれますので、お金の使途については説明責任を果たすように心がけています。私たちがしないのは、特定のプログラムや成果の約束で、ただ、私たちの能力の限り、最良の仕事をし続けることだけ約束しています。
私たちの制約は、出来うる限りの透明性を保証することです。会員への広報では、私たちは自分たちの成功よりも、間違いや失敗について多くを書いて知らせています。この透明性によって築いた信頼のおかげで、私たちは相次ぐ寛大な支援に感動させられています。私たちは会費を集める考えを廃して、任意での寄付は受け付けつつ会費は無料にしています。
B) ギフトエコノミーへの移行
次の戦略は、ギフトエコノミーに移行することです。私たちの活動では、知的財産権を主張せず、すべての資料を無料で提供し、配布や改変を自由にできるようにしています。公園やコンサルティングの仕事についても、もう決まった費用を請求することはしていません。私たちは、呼ばれた組織やイベントや顧客ごとに、私たちの能力の限りの最高のサービスを提供した上で、私たちの活動を支援するための寄付をお願いしています。この方法によって、私たちは多くの活動を無料で行う一方で、いくつかの他のイベントでは手厚い報酬をいただいています。
多くの顧客が、私たちが自分から請求しようと思うよりたくさんのお金を寄付してくれます。その厚情には感謝するばかりで、しかもそのような好意は関わったすべての人たちに温かい気持ちを残します。私たちにとっては、運動を前に進めることの方が、物質的に満たされることや社会的地位よりもずっと大事です。私たちがビジネスクラスの航空運賃を辞退して、エコノミークラスで移動すれば、顧客にもっと有意義なことに喜んでお金を出す余地を残すことができます。
ギフトエコノミーの中で、ペーパーバックの本のように形のあるものを提供するのは、ちょっと厄介です。当然、私たちの側には事前の出費が要りますし、顧客の側からは私たちが負担するコストが一体どれぐらいなのか、対価にどれぐらいのお金を払うべきかわからないかもしれません。私たちは顧客に幅を持った寄付の参考額を提示することもありますが、とても奇妙な感じがするかもしれません。
できるだけ事前には当てにしないようにしていますが、活動を続けられるだけのお金が入ってこないことにはどうしようもありません。時には私たちの気前の良さにつけ込む人もいます。ある医学会では、医師の多くがお金を払うつもりが全くなく、ただで本を持って行ったときのことを覚えています。私は自分の本がたくさん持っていかれれば、その分だけ、私の考えを売りこむことができたのだと思うようにしています。
普通の商取引に慣れた顧客の中には、私たちの戦略にひどく混乱する場合があります。経営上や財政上のシステムを通すためだけに請求書を依頼される場合があります。その一方で、私たちのやり方に得心して、非常な熱意と篤志で応えてくれる組織もあります。ギフトエコノミーに移行することで、自分たちの価値観にあった組織を見つけやすくなり、そのような組織との協力もしやすくなりました。
デジタル素材の共有の容易さは、ギフトエコノミーと大変相性が良く、通常の経済活動との両立も可能です。たとえば、私はこの本を PDF ファイルで無料で提供し、誰とでも制限なく共有していいことにしています。そして寄付を募ります。さらに、Amazon を通じてペーパーバック版を販売します。それは活動を国際的に知らしめる共に、新たな収入源になる可能性があるからです。紙の本を贈り物にするのは好まれているので、実際にお金を払って本を買った人も、他の人への贈り物にしていることも多いのです。
C) クラウドファンディング
3 つめの戦略は、活動のいくつかをクラウドファンディングで資金調達することです。以前は、アメリカのルイヴィル市への訪問費は、何本もの基調講演の講演料とワークショップを請け負ったさまざまな組織からの謝礼金を寄せ合わせて賄っていました。そして、その時の顧客となったそれぞれの会社や大学は、私たちが提供した素材に対して「所有権」を主張しました。私たちを招待する市側の担当者は、それらの料金を交渉して航空運賃などの私たちの経費を工面するのに苦労していました。
一番最近のルイヴィル市への訪問では、妻のメレディスが Indiegogo というプラットホームを使ったクラウドファンディングのキャンペーンを行うことを思いつきました。集まったお金の代わりに、私たちは市に 6 週間もの間滞在してサービスを提供することを約束し、その間、寄付するかしないかに関わらず、思いやりを持った医療を築くのに手を貸したい人なら誰でも、時間と労力を割いて協力することにしました。その時には 30 日間のうちに 2 万ドル近くが集まり、調達目標を達成することができました。
そのクラウドファンディング・キャンペーンでは、共通の目的のために、組織や個人が集めた募金の額を競うことが奨励され、滅多に見ない協力と篤志の雰囲気が盛り上がりました。一定の額以上の募金に対しては「特典」も用意しましたが、その申し出を受け取った人はわずかでした。みんな、自分たちの街で私たちが活動するのを支援するだけで大喜びだったのです。私たちは、わずかな蓄えの中から募金してくれた学生を含む個人の厚意には、ありがたい思いでいっぱいでした。
クラウドファンディングを資金調達策に採用したことで、私たちの活動は、対価を払った組織だけが恩恵を受ける一連のイベントから、市全体を巻き込んだ政策に格上げされました。私たちは 60 以上もの講演、ワークショップ、会合やイベントを6 週間、31 もの違った組織を通じて行いました。私たちの活動は、オープンスペースという場所での 1000 人以上も集まり、地元のリーダーたちがさまざまな思いやりを持った医療の取り組みを前に出て紹介した、コミュニティイベントで最高潮に達しました。
私たち、社会運動家は、経済システムのことを深く考える必要があります。お金だけが価値交換のためのコインではありません。多くのコミュニティで大きな社会的、健康的メリットを伴ってタイムバンクが広がりつつあります。タイムバンクでは、1 時間単位で寄付された時間が通貨で、すべての人に平等に「支払われ」ます。
Hearts in Healthcare Publications
Translated into Japanese by Tiapana ICT Services Limited
Offering a Gift

贈り物を提供する
4. サービスを売り込むな
私たちの経済の枠組みも、営利企業と慈善事業の双方に関わる法体系や組織統括も、いずれもお金をベースに回っているので、すべての社会運動家にとって、お金は大きな問題です。
世界中の多くの社会的および環境的問題の根っこには、私たちの現在の経済システムがあります。現代の経済理論は、個々人を、自分自身の経済的利益を最大化されるように動機づけられた独立した主体であると仮定しています。その上、競争こそが複雑な問題に対するイノベーションを促し、「市場的解決」を見つける最も強い力であると信じられています。経済的成長の飽くなき追求によって、あらゆる人間の才能や、天然資源は、とことんまで利用しつくし、消費財に作り変えられ、利益のために市場で取引されてしまいます。
これらの経済的想定は、資産の所有、管理および保護に関する法体系を必要とします。したがって、人間の創作する物語や思想や音楽は「知的財産」になり、私たちの海や土地や川や湖は「資源」となって、しばしば自然環境への多大な犠牲を伴って、採掘されたり開発されたりします。
これらの経済学的理論はひとつとして、人間の利他主義や、気遣いや、コミュニティや協力の存在や重要性の価値を認めません。また、人間が生物圏から離れては存在できないことや、自然界は収奪すべき「資源」ではなく、私たちの生存に必要不可欠な決定因子であることを正当に評価しません。
ネオリベラリズムの経済的理論によって、状況はますます悪化し、格差の拡大、社会の分裂、緊縮財政、社会福祉や医療サービスの崩壊、労働条件の悪化、若者の失業そして環境の悪化につながっています。
ですから、売り手も買い手も気をつけるべきです。社会運動のための活動の中で、自分たちの時間や専門知識やサービスや本や映画をお金のために売るならば、それはともすれば、自分たちが解決しようとする問題の多くを生じさせている、当の経済システムと、そこに巣食う価値観の存続に手を貸していることになりかねないのです。
お金そのものには本質的に悪いことは何もありませんが、私たちは、お金の本来の目的、価値の交換を促進することを歪めてしまっているのです。そのことは、アフリカの貧しい農夫たちに、電気の供給がないところでさえ、携帯電話が急速に普及していることを知るまでは本当には理解していませんでした。なぜそんなことが起こっているのでしょうか。それは携帯電話によるモバイルバンキングが、アフリカの農夫の地域経済を変革しているからです。
電気の供給がないところでも、太陽電池で動くデータ接続された基地局のネットワークによって、携帯電話のサービス範囲が拡大しているからです。農夫は藁屋根の泥床の小屋に住んでいても、太陽電池の充電装置を持っていれば、基本的機能を備えた携帯電話は使用できるからです。
どうしてモバイルバンキングがそれほど重要なのでしょう。それは、遠隔地に信頼できるバンキングシステムが成立する以前には、農夫は地元の市場で物々交換することしかできなかったのです。農産物は、季節商品でしかも日持ちしません。したがって多くの農産物は無駄になっていたのです。モバイルバンキングが導入されることによって、農産物はお金と交換できるようになり、距離や時間を超えて取引ができるようになったのです。農夫は対価を、穀物倉庫でなく、銀行口座に保管できるようになったのです。
したがって、問題は、お金そのものではなく、私たちが振興しようとする価値観を持続させるような形で、どのようにお金を使うかです。
その観点からすると、慈善事業や、慈善団体の枠組みも潜在的な問題を抱えています。私たちの医療に思いやりを取り戻す活動も、最初の 5 年間は活動母体として慈善団体の形式を採りました。その後、その戦略はあきらめて、今は自分たちのお金を有限会社の形で投資して、社会起業として運営しています。
慈善事業として運営している時には 2 つの障害がありました。
ひとつめの深刻な問題は、慈善団体は、本質的にリスク回避的で保守的であるということです。私たちは根本的に今までと違う、時には大きな損失に直面したこともある、リスクのある戦略を試すことでやっと成功してきました。例えば、Hearts in Healthcare (医療に心を)運動では、私たちのオンラインでの存在感を確保するために 4 万ドルも費やしてソーシャルメディアとコンテンツ管理のプラットフォームを整備しました。1 年後、私たちは、そのシステムが率直に言ってうまく機能していないという結論に達して、廃止してしまいました。私たち自身のお金だからこそできたことです。
もし、私たちがまだ慈善団体のままだったら、運営幹事会に出向いて、義援金のうち 4 万ドルも損失したことを報告することなどおよびもつかなかったでしょう。寄付者からの大反対が沸き起こったでしょう。幹事会の判断は、おそらく悪手の中の最悪のもの、破綻したシステムを使い続けることにこだわったでしょう。
慈善事業にとって、慈善財団や政府からの出資を受け入れることは、さらにひどく自分たちの活動を制約することになります。出資には必ず紐がついてきます。出資を受け入れる時には、特定の成果を出すこと、または特定の活動を実行することを約束して契約を結ばなければなりません。出資条件に合わせなければならないので、契約内容に記載された達成事項によって自分自身の活動目的が歪められてしまうことがしばしば起こります。私たちの経験からすると、長期的に見て、そのような出資を受け入れることは、自分の組織を破壊することになりかねません。
まとめると、わたしたちの経済システムに組み込まれているお金の使い方についての価値観と、財務上の説明責任のための組織構造は、いずれも、現状維持に傾きやすく、私たちが複雑な問題に対して全く新たな解決策を見つける能力を削ぐ可能性が強いのです。
Hearts in Healthcare (医療に心を)運動では、これらの問題を克服するために、幾らかの勇気、時には清水の舞台から飛び降りる覚悟が必要な、いくつかの戦略を採っています。
A) 身銭を切る覚悟をする
最初の戦略は、浄財ではなく、身銭を切ることです。わたしは、パートタイムで医療の仕事をすることで、Hearts in Healthcare (医療に心を)運動の資金を工面しています。
私たちは、慈善団体を解散して、その代わりに私たち自身のお金を小さな事業会社の形で投資しています。その思い切って新たな手を打てる自由を利用して、わたしたちは失敗した 4 万ドルのプラットホームを個人的損失として損切りしました。新しいデベロッパーと新規にいちから作り直して、ずっと良いウェブサイトを構築して、今でもそれを使用しています。この失敗はとても高くつきましたし、簡単な決断だったというつもりはありません。
私財を投じることで、わたしたちは思い切った判断をすることができますし、昨日にしたことにとらわれずに、その日、その日に最もうまくいくことを追求することができます。
慈善事業ではないにも関わらず、人々は私たちの活動を支持して寄付をしてくれますので、お金の使途については説明責任を果たすように心がけています。私たちがしないのは、特定のプログラムや成果の約束で、ただ、私たちの能力の限り、最良の仕事をし続けることだけ約束しています。
私たちの制約は、出来うる限りの透明性を保証することです。会員への広報では、私たちは自分たちの成功よりも、間違いや失敗について多くを書いて知らせています。この透明性によって築いた信頼のおかげで、私たちは相次ぐ寛大な支援に感動させられています。私たちは会費を集める考えを廃して、任意での寄付は受け付けつつ会費は無料にしています。
B) ギフトエコノミーへの移行
次の戦略は、ギフトエコノミーに移行することです。私たちの活動では、知的財産権を主張せず、すべての資料を無料で提供し、配布や改変を自由にできるようにしています。公園やコンサルティングの仕事についても、もう決まった費用を請求することはしていません。私たちは、呼ばれた組織やイベントや顧客ごとに、私たちの能力の限りの最高のサービスを提供した上で、私たちの活動を支援するための寄付をお願いしています。この方法によって、私たちは多くの活動を無料で行う一方で、いくつかの他のイベントでは手厚い報酬をいただいています。
多くの顧客が、私たちが自分から請求しようと思うよりたくさんのお金を寄付してくれます。その厚情には感謝するばかりで、しかもそのような好意は関わったすべての人たちに温かい気持ちを残します。私たちにとっては、運動を前に進めることの方が、物質的に満たされることや社会的地位よりもずっと大事です。私たちがビジネスクラスの航空運賃を辞退して、エコノミークラスで移動すれば、顧客にもっと有意義なことに喜んでお金を出す余地を残すことができます。
ギフトエコノミーの中で、ペーパーバックの本のように形のあるものを提供するのは、ちょっと厄介です。当然、私たちの側には事前の出費が要りますし、顧客の側からは私たちが負担するコストが一体どれぐらいなのか、対価にどれぐらいのお金を払うべきかわからないかもしれません。私たちは顧客に幅を持った寄付の参考額を提示することもありますが、とても奇妙な感じがするかもしれません。
できるだけ事前には当てにしないようにしていますが、活動を続けられるだけのお金が入ってこないことにはどうしようもありません。時には私たちの気前の良さにつけ込む人もいます。ある医学会では、医師の多くがお金を払うつもりが全くなく、ただで本を持って行ったときのことを覚えています。私は自分の本がたくさん持っていかれれば、その分だけ、私の考えを売りこむことができたのだと思うようにしています。
普通の商取引に慣れた顧客の中には、私たちの戦略にひどく混乱する場合があります。経営上や財政上のシステムを通すためだけに請求書を依頼される場合があります。その一方で、私たちのやり方に得心して、非常な熱意と篤志で応えてくれる組織もあります。ギフトエコノミーに移行することで、自分たちの価値観にあった組織を見つけやすくなり、そのような組織との協力もしやすくなりました。
デジタル素材の共有の容易さは、ギフトエコノミーと大変相性が良く、通常の経済活動との両立も可能です。たとえば、私はこの本を PDF ファイルで無料で提供し、誰とでも制限なく共有していいことにしています。そして寄付を募ります。さらに、Amazon を通じてペーパーバック版を販売します。それは活動を国際的に知らしめる共に、新たな収入源になる可能性があるからです。紙の本を贈り物にするのは好まれているので、実際にお金を払って本を買った人も、他の人への贈り物にしていることも多いのです。
C) クラウドファンディング
3 つめの戦略は、活動のいくつかをクラウドファンディングで資金調達することです。以前は、アメリカのルイヴィル市への訪問費は、何本もの基調講演の講演料とワークショップを請け負ったさまざまな組織からの謝礼金を寄せ合わせて賄っていました。そして、その時の顧客となったそれぞれの会社や大学は、私たちが提供した素材に対して「所有権」を主張しました。私たちを招待する市側の担当者は、それらの料金を交渉して航空運賃などの私たちの経費を工面するのに苦労していました。
一番最近のルイヴィル市への訪問では、妻のメレディスが Indiegogo というプラットホームを使ったクラウドファンディングのキャンペーンを行うことを思いつきました。集まったお金の代わりに、私たちは市に 6 週間もの間滞在してサービスを提供することを約束し、その間、寄付するかしないかに関わらず、思いやりを持った医療を築くのに手を貸したい人なら誰でも、時間と労力を割いて協力することにしました。その時には 30 日間のうちに 2 万ドル近くが集まり、調達目標を達成することができました。
そのクラウドファンディング・キャンペーンでは、共通の目的のために、組織や個人が集めた募金の額を競うことが奨励され、滅多に見ない協力と篤志の雰囲気が盛り上がりました。一定の額以上の募金に対しては「特典」も用意しましたが、その申し出を受け取った人はわずかでした。みんな、自分たちの街で私たちが活動するのを支援するだけで大喜びだったのです。私たちは、わずかな蓄えの中から募金してくれた学生を含む個人の厚意には、ありがたい思いでいっぱいでした。
クラウドファンディングを資金調達策に採用したことで、私たちの活動は、対価を払った組織だけが恩恵を受ける一連のイベントから、市全体を巻き込んだ政策に格上げされました。私たちは 60 以上もの講演、ワークショップ、会合やイベントを6 週間、31 もの違った組織を通じて行いました。私たちの活動は、オープンスペースという場所での 1000 人以上も集まり、地元のリーダーたちがさまざまな思いやりを持った医療の取り組みを前に出て紹介した、コミュニティイベントで最高潮に達しました。
私たち、社会運動家は、経済システムのことを深く考える必要があります。お金だけが価値交換のためのコインではありません。多くのコミュニティで大きな社会的、健康的メリットを伴ってタイムバンクが広がりつつあります。タイムバンクでは、1 時間単位で寄付された時間が通貨で、すべての人に平等に「支払われ」ます。
Hearts in Healthcare (医療に心を)運動では、ドルよりも人々の健康福祉を通貨とみなし始めています。その考えに従うと、人々の健康福祉の増進こそが経済成長であって、その反対ではないのです。